終戦記念日に震災とか津波とか原発とか考えてみた。

田原総一郎氏だったか。今回の震災と津波、原発事故は日本にとって三回目の敗戦である。明治維新からの開国。太平洋戦争での敗戦。そして大震災及び原発事故と言っていました。66回目の終戦記念日。広島長崎は66回目の原爆の日でした。長崎では今年新たに3288人の名前が書き加えられ、原爆死没者名簿に記入された人は15万5千546人になりました。広島では5785人の名前が書き加えられ、27万5230人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に奉納されました。そこで児玉龍彦氏の2011年7月27日 (水)におこなわれた衆議院厚生労働委員会での証言がインパクトがありました。

熱量からの計算では、広島原爆の29.6個分に相当するものが漏出しております。ウラン換算では20個分の物が漏出していると換算されます。更に恐るべきことには、これまでの知見で原爆による放射線の残存量と原発から放出された物の放射線の残存量は、一年に至って原爆が1000分の1程度に低下するのに対して原発からの放射線汚染物は10分の1程度にしかならない。つまり今回の福島原発の問題は、チェルノブイリと同様、原爆数十個分に相当する量と原爆汚染よりもずっと多量の残存物を放出したという事が、まず考える前提になります

児玉龍彦 2011/07/27衆議院(参考人意見、質疑応答) – YouTube から引用

66年後の福島あるいは東北、関東地方は、どうなっているのでしょうか?広島長崎に続いて、みたび放射能汚染されたと言うより、児玉龍彦氏の発言から30回放射能汚染されてしまったと考えるべきです。60年以上経った今でも苦しみ続けて9千人近くもの亡くなる方々がいるのです。二度と過ちを犯しませんという石碑の宣言文は議論百出ですが、世界唯一の被爆国でありながら、30回の過ちを犯してしまったわけで、さて、これからどうすれば?

今までの自然界に存在する以上の放射性物質ありきの環境で、いかに被爆を少なくするか。生物はオゾン層が出来て宇宙からの放射線を防いでくれているおかげで生きていくことが出来た訳で。(オゾン層も消失してきてアブナイのですが)諦めるか、考えるか、で大違いだと思います。チェルノブイリ周辺にある全ての学校の保健室には放射線を計測する装置が設置されていて住民は、いつでも食品検査できる体制になっているそうです。マスコミや、お上の大本営発表を信用して戦争に突入していった戦前からの責任放棄から早く脱却して自らの考えで行動する本当の意味での民主主義を考えなければ、日本の民度は低いままなのでしょう。

残念ながら放射線と共存して生きていかなければならなくなった日本という土地で生きていく未来は確定したのです。除染と検査態勢を迅速に、お願いしたいモノですが政府の動きが遅い…。経済のハナシとか文科省のメンツとか経産省の復活戦とか…。旧態依然の利権を守ろうとしている政治家と官僚が多いという事でしょうかね。

帰省して、誰も使わない立派な農道、乗客の極端に少ない新幹線の駅を見るにつけ、住民不在の土木行政が相変わらず行われていて、税金を払うのが嫌になりました。復興を考えるに、この国に民主主義が生まれるかどうかのチャンスなのだという見方をしないといけないのではないでしょうか。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です